ヨーキョクデイ

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庄内町の 3 社

庄内町は旧立川町エリアの神社を 3 つ回ってきた。
まずは立谷沢地区の熊谷神社へ。こないだ羽黒山から帰るときに道沿いに熊谷神社の看板がいくつかあり、気になったので改めて来てみた次第。ここは有力な稲の品種たちの祖先として名高い亀の尾の発祥の地であるらしい。鳥居をくぐってすぐ左手のその石碑は当時大蔵大臣の宮澤喜一の書。
杉林の中の参道を進むと右手に社殿が見えてくるが、方角的な関係からか参道に尻を向けている形。この拝殿に向かって左側には小さな滝があるが、この神社は御瀧神社とも称するようで、元来この滝に付随する神社のようだ。よくわからんけど、熊谷三郎兵衛なる江戸時代の人がうんたらということで熊谷神社と称する感じらしい。
訪問時は境内に人の気配はなかったが、拝殿に御朱印のサンプルがあったので機会があれば入手可能なのであろう。




そして清川地区の清河神社へ。幕末の志士として有名な清川出身の清河八郎を祀った神社であるが、幕末事情はよく知らないので。かつては松尾芭蕉が上陸したり、戊辰戦争でトンパチしたり、正岡子規が来て詠んでみたりしたのがこの辺らしい。


さらに近くの御諸皇子神社へ。本来の参道は住宅地から、踏切のない陸羽西線の線路をこそこそ渡り、北楯大堰に架かる橋を渡り、随神門をくぐり、山の中へと石段を登る形。ただし、線路と大堰の間にはちょっとした道もあり、ちょっとの遠くの踏切経由でそこを通るのが正解というタテマエ。第 4 種踏切あたりを設置しないのはなぜか。線路が寺社の参道を分断した例はいろいろあるみたいだが、マニアックなジャンルになるかもしれない。
山の中にはいくつかの境内社があったが、いずれも社殿が大きい。メインの御諸皇子神社であるが、ちょうど西日が社殿の屋根の上に位置し、撮影困難であったのでリベンジしたい。
かつては源義経も逃避行の際に来たことがあるとか。この辺の最上川沿いには源義経の伝説がいろいろとあるんだけど、うさんくさい気がしないでもない。



というわけで、庄内関係者を祀った神社ツアーであった。